札幌北一条教会
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今月のみことば | |
「みことばの結実」 |
マルコによる福音書4章1節〜20節 | ||
牧師 堤 隆 | ||
7月29日(日)主日礼拝説教から抜粋 |
「教会の声」説教(8月号) |
イエスは、再び湖のほとりで教え始められた。おびただしい群衆が、そばに集まって来た。そこで、イエスは舟に乗って腰を下ろし、湖の上におられたが、群衆は皆、湖畔にいた。イエスはたとえでいろいろと教えられ、その中で次のように言われた。「よく聞きなさい。種を蒔く人が種蒔きに出て行った。蒔いている間に、ある種は道端に落ち、鳥が来て食べてしまった。ほかの種は、石だらけで土の少ない所に落ち、そこは土が浅いのですぐ芽を出した。しかし、日が昇ると焼けて、根がないために枯れてしまった。ほかの種は茨の中に落ちた。すると茨が伸びて覆いふさいだので、実を結ばなかった。また、ほかの種は良い土地に落ち、芽生え、育って実を結び、あるものは三十倍、あるものは六十倍、あるものは百倍にもなった。」そして、「聞く耳のある者は聞きなさい」と言われた。 イエスがひとりになられたとき、十二人と一緒にイエスの周りにいた人たちとがたとえについて尋ねた。 4:11 そこで、イエスは言われた。「あなたがたには神の国の秘密が打ち明けられているが、外の人々には、すべてがたとえで示される。それは、『彼らが見るには見るが、認めず、聞くには聞くが、理解できず、こうして、立ち帰って赦されることがない』ようになるためである。」 また、イエスは言われた。「このたとえが分からないのか。では、どうしてほかのたとえが理解できるだろうか。種を蒔く人は、神の言葉を蒔くのである。道端のものとは、こういう人たちである。そこに御言葉が蒔かれ、それを聞いても、すぐにサタンが来て、彼らに蒔かれた御言葉を奪い去る。石だらけの所に蒔かれるものとは、こういう人たちである。御言葉を聞くとすぐ喜んで受け入れるが、自分には根がないので、しばらくは続いても、後で御言葉のために艱難や迫害が起こると、すぐにつまずいてしまう。また、ほかの人たちは茨の中に蒔かれるものである。この人たちは御言葉を聞くが、この世の思い煩いや富の誘惑、その他いろいろな欲望が心に入り込み、御言葉を覆いふさいで実らない。良い土地に蒔かれたものとは、御言葉を聞いて受け入れる人たちであり、ある者は三十倍、ある者は六十倍、ある者は百倍の実を結ぶのである。」 |
神の国の秘密がたとえで与えられていると主は言われます。(11節)ある人には与えられているけれども、ほかの人には与えられていないということはないということです。皆に与えられている。このたとえは最初からそのように語っています。この種蒔きのたとえは、当時の直播きを思い浮かべないとよく分かりません。まだ耕されていない畑一面にバラバラと直接種を蒔く。そうしておいて後から鋤でで耕して地中に種を沈めるというやり方です。ですから、種を蒔く時には土の中まで様子が分かっている訳ではありません。表面の土の下がすぐに石地であることなど見えません。茨の種が落ちていることも、見ただけでは分かりません。道端と言いましてもだれもが通る往来ではありません。畑作業を続けるうちに踏みならされた程度のところです。そこも作業が終わるころには鋤を入れられます。農夫は畑地の全面に種を蒔き、全面を鋤込みます。ここはだめだろう無駄だろうとは考えないで蒔き耕していきます。畑一面からの収穫を期待して種蒔きをしたにちがいありません。しかし、そんな期待に反して失敗が起こってくる。「外の人々」と呼ばれる者たちが失敗します。主はご自分を種蒔く人にたとえておられます。そうして、失敗が残念でならない思いを託しておられます。 |